名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

秦野市

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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「昔、この地区には男の子が生まれることが少なかったので、男の子が授かるように祈願して祀った」

現在立っているご神体は明治期に作られた二代目で、初代は二代目の下に埋めてあるという。

ちなみに現在ご神体を拝むことができるのは一月十四日の道祖神祭だけだが、平成元年に発行された「秦野の道祖神...」によると、夜中の十二時から一時の間に子どもが欲しい夫婦がお供えをしてご神体にお酒をかけてお参りする、「またぎの時間」というものがあるそうだ。
遠方からの参拝者もあると書かれていることから察すると、子授けに霊験ありと知られているようだ。

かつては道祖神行事が教育上よろしくないとやめるよう指導があったという。
しかし子授けという地域にとっての重大事のため、行事の存続を学校側に認めさせた。

僕はほんの数時間しかいなかったし気のせいかもしれないけど、集まってくる子どもが多く感じられた。
霊験が単なる噂ではなく、それで願いがかなったという人もいるはずだ。
加えて、祭礼廃止の危機を乗り越えた世代が存命の間には、マラセの神に対する祭祀の変化はのぞまれるものではないだろう。

それにしても、僕が話を聞いたり写真を撮ったりしている間、「親方さん」という祭礼当番の方は忙しく動き回っていた。

祭の存続には様々な理由があろうが、本当の功労者は忙しく働いている当番の方たちだろうな、と頭が下がる思いがした。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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どんどの火を囲んでおじいさんから話が聞けたこと、団子を口にすることができたことは貴重な経験だった。

僕の旅は、なにかに興味を持ったらとにかく行ってみようというものである。
ともすれば「行って」「見る」のが先行し、現地で話を聞けずに帰ってくる「残念な旅」もしばしばだ。
少しでも収穫があればこそ、帰りの電車のなかで飲む酒もうまい。

ところでマラセの神は、他の町内が日にちを日曜などに変えて祭礼を行うのに対し、一月十四日開催を守っている。
また小屋がけの際、ガラス戸のついた覆屋を取り去ったあとで傷がつかないようにブルーシートでぐるぐる巻きにしていたことにも触れた。

当たり前のことかもしれないが、この地域の人々がマラセの神を非常に大切にしており、その意味を現代にも失わないための配慮が感じられた。

秦野市内の道祖神、双体道祖神は摩耗や欠損しているものが多く見られる。
道祖神という石神の扱い方に秦野独特の方法があったのかもしれない。

しかしマラセの神は違う。

ご神体の姿を間近で見たが、その表面は欠損どころか非常にツルツルしてきれいなのだ。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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「僕はここの町に住んでいるのではないけど、近いからこうして来るんだよ。

むかし、僕たちが小学生だったころのどんど焼きはね、小屋がけからすべて子どもたちがやったもんだよ。
学校が終わると山へ行ってさ。
木を切りに行くんだよ。

どんど焼きでは正月飾りを燃やすけど、それだけだとすぐ燃えてしまうからさ。
切り株をね、木の根っこの部分を掘り起こして、それを持ってきたもんだよ。
それだと長く燃えるだろ。

(おばあさん「四十年も五十年も昔の話だけどね」)

また“御神竹”といって竹に弓のようなものを立てて燃やしたりもしたよ。
いまではハッサワ(地名)あたりだけだろうか。

それと“アクマッパライ”といってね。
子どもたちが仮面をつけて各家庭を回って。
家の中に入っていってお祓いをするんだ。
数え歌のようなものもあったな。
大人はついて太鼓でリズムをとる。
それで五十軒ほど回ったかな。

小屋のなかではね、子どもたちが遊んだもんだよ、十四日から十五日にかけて徹夜だったね。いまではかなり省略してしまっているようだけど」

写真は神奈川県秦野市。

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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「これね、上新粉の団子」

息子夫婦と一緒にどんど焼に来ていたおじいさんたちは、先っぽに団子のついた棒を持ってどんどの火であぶっていた。
白とピンクの団子にこんがりとした焼き目がついてくる。

「初めて見ました。僕の住む地域にはこういうものがないんですよ」

おじいさんは「そう」とうなずいて団子について教えてくれた。

「団子はね当日か前日に作るのね。あまり早く作ると固くなってしまうから。上新粉に砂糖を混ぜておくと食べたときに味があるでしょう」

「ほら、これ一個食べてみたら」

横にいたおばあさんがリング状になった団子のなかからしっかり焼き目のついたものを取ってくれた。
いただくとほんのりと淡い甘さが感じられた。

「余ったらね、砂糖をまぶして醤油をつけて食べたりするよ。みそ汁のなかに入れたりなんてことも聞いたことあるな。それとね、薪の火であぶって食べると風邪を引かないっていわれてるしね」

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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「暗くなった方が雰囲気出ますよ」

小屋でお札を売る男の子の母親と話しながら写真を撮っていると、近所に住むひとだろう、おじいさんとおばあさんが孫を連れて小屋にやってきた。

手には棒のようなものを持っており、その先端には輪になった針金に真珠のネックレスのように白とピンクの小さな丸い玉がつけられている。

お札を買って雑談しているおじいさんたちは小屋を離れるとどんど焼きの会場に移動し、棒の先についた丸い玉を火であぶっていた。

小屋の前にいると次々に学校を終えた子どもたちがやってきたが、みな手には同じような棒を持っている。

「神奈川県史」民俗編にはマラセの神のある今泉地区で作られたマユ玉の写真を載せていたのを思い出した。
俵のようなものの上に枝が伸びた木を立てて、枝という枝に団子を刺していた。
まるで花が満開に咲いているようだった。

僕の住む地域ではマユ玉を飾る習慣がないので、「これかっ」と思ったのだ。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年
「神奈川県史」各論編5民俗 神奈川県企画調査部県史編集室 一九七七年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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「一枚三百円です。お金はここに入れてください」

たどたどしい口調で客からお金を受け取り札を渡す。
その様子を母親は笑顔で見ながら「おつりが違うよ」とツッコミを入れる。

本来ならお札とともに煮物を振る舞うようだが、一番目の客である僕がお札を買ったのは四時を少し回ったころということもあり、煮物はまだ小屋に届いてなかった。

「お神酒はどうですかって聞いて」

母親から台詞を教えられた小屋の主人である男の子は、徳利をもって「どうですか」と尋ねた。

「当日皆がお参りに来る時には一人前位の量のおソバとお賽銭を、ドンド焼き(道祖神)の供え物として持ってくる。お参りをした人はその場でお神酒を飲みながら、なます、煮豆、きんぴらをつまむ」

マラセの神の項にはこう書かれているが、ソバと煮物の組み合わせの理由については触れられていない。

他の道祖神の前にも葉っぱの上にソバが供えられていたのを見た。

ソバは秦野の道祖神を語る上での重要なキーワードかもしれない。

じゃあ煮物は、酒の肴か...

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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子どもたちが集まってきた。
聞くとお札を売りにいくという。

手にするのは「奉納」と書かれたプラスティック製の丸形ポット。
ふたには小銭を入れられるような小さな穴があいており、お札を売った代金はそこに入れてもらうようになっている。

お札は近隣の約九十軒に売り歩く。
すべてを売るのに八時ころまでかかるそうだ。
一月の寒空のもとで、さぞ大変だろうという思いは大人の感覚だろう。
子どもたちにとっては普段の生活の中ではありえないイベントなので、むしろ刺激的で楽しいのかもしれない。

出かけた子どもたちもいれば残る子どもたちも。

小屋のなかに入り、お札を売る準備をする。
小屋に上がるのは男の子だけに許されていることなので、売り子も男の子二人。
ヒーターがあるとはいえ簡素な小屋のなかは完全に冷えきっている。
それでも友だちと二人で小屋に上がった子たちのテンションは高い。

まだ札を求める客はいない。
僕が一番めの客になりそうだ。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

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「奉納 岐神」

当番の男性がサオに通して小屋の軒に吊るしたのぼりにはこう書かれていた。

「岐神」とはマラセの神の手前側に立っている石塔に刻まれた文字でもある。
道祖神ではなく岐神とする理由は分からないけど、「岐」とは三叉路のような分かれ道のことを指すので、境界の神である道祖神とは同義といってよいと思う。
マラセの神が辻の角地に立っていることも関係があるのかもしれない。

そうこうしている間に祭の開始時間である四時が迫っていた。

学校を終えた子供たちが勢いよく学校から走ってやってきた。
平日の、しかも学校がある日にもかかわらず、これから一年に一度の祭を楽しみにしているような雰囲気を感じた。

自分はどんな役なんだろうと大人に聞く子もいれば、どんどの火の回りで遊んでいる子、のぼりの取り付けをじっと眺めている子、三脚を持った珍客を珍しがっている子…

「こっち来て〜」

当番の男性が声をかけると、散らばっていた子どもたちが小屋の前に集まってきた。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

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どんど焼きの会場である駐車場で当番の方から道祖神祭の流れを聞いたものの、ポケットから時計を出すと開始までは時間がたっぷりある。

他の道祖神を見ようにも近辺をウロウロしていれば怪しまれそうなご時世だ。
近くに学校があるから「道祖神大好きおじさん」が単なる「怪しいおっさん」と疑われる可能性だって否定できない。

どんな祭をやるのか、どういう方法でやるのか。
見たい気持ちがあるからこうして遠方まで訪ねてきているが、身の置き場に困ってしまうのは、知らない土地で寄る辺のない風来坊たる所以である。

十五時半ころ、再び小屋の前に戻ってみると、先ほどの当番の方ともうひとり男性が立っている。

「そろそろですか」

声をかけると、

「そうですね、のぼりをつけますよ」

当番氏は小屋のなかに入っていくとご神体に巻かれたシートを取り、たたまれたのぼりを奥から持ってきた。

「一年のうちで今日しか見られませんよ」

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

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「なんでご神体はブルーシートにかぶせてあるのですか」

先ほどからずっと気になっていたので聞いてみた。

「小屋を建てるときに傷がついてはいけないからかぶせてあるんです。のぼりをつけるときには取りますよ」

僕が正月に訪れたときに見た堂は小屋に隣接する家の敷地内に置かれていた。
ガラス扉を開けてご神体を取り出すのかと思いきや、ご神体の上からかぶせるようになっている。

ご神体が固定されているのは「相模の三魔羅」に共通する特徴で、盗難防止の意味もあろう。

一月十四日にどんど焼きを行うのは毎年決められている。
最近の傾向として「勤め人やこどもが来やすいように」という配慮から、本来なら平日に行っていた祭を土日に変更するケースが目立っている。

「ここは必ず一月十四日です」

マラセの神では日程の変更などあり得ないそうだ。

祭は子どもたちが学校を終えて午後四時ころに集合してから、夜の九時まで続く。
その間、近隣の人々が参拝方々、お札を買いにくるという。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年
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FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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