名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

讃岐国

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國大内郡・水主神社。

高松に到着した翌朝、無性にテンションの高ぶりを感じ、朝早く目が覚めてしまった。
できるだけ早い電車に乗りたい。
朝食をとり昼食用のおにぎりを握ってから逗留先のマンションを出たのは午前五時過ぎ。
高松駅前の輪行はとてもスムーズで予定していたより一本早い電車に乗ることができた。

朝日を浴びながら電車は栗林公園の緑を通り抜けていく。
出発時には数人しか乗っていなかった車内も三本松駅に着くころには通学の高校生を中心にとても混み合った。
どうにか輪行バックを降ろし駅前で組み立てた。
手元の時計では七時半ころ。
駅を出て目的地の水主神社には八時過ぎに到着したからそれほど遠くはなかった。

町場を離れると上り坂になり標高こそ高くはないものの目の前に山々が現れてくる。
この風景、どこかで見たようなデジャブ感を覚えた。
そうだ、松江到着の翌日、市街地を離れ意宇郡の熊野神社に向かったときも同じような低い山並みが目の前を過ぎていったような記憶がある。
「プチ移住」初日の風景だから余計似ているように感じられたのかもしれない。

水主神社は道路沿いにあるため走っていると目の前に鳥居が現れた。
鳥居をくぐり奥に長い境内へ。
三社あるうちの中心、水主神社拝殿まで145歩。
◯のなかに「社」の文字が染め抜かれた青い幕が張られている。
まずは参拝。
次いで、向かって右側の国魂神社、左側の水主三社にも手を合わせる。

本殿の後方の社殿にも手を合わせ再び拝殿に戻ってくる手前で不思議な場所があった。
石垣の上に河原石を敷き詰め塚状になった頂部にはお地蔵さんのような石柱が立っており、その前には幣と榊が飾られた小さな祠がまつられていた。
境内の由緒にもこれが何かについて触れられていないので分からない。
不思議なのは東を向く本殿に対するように西側を向いている。
なお当社には祭神である倭迹々日百襲姫命の陵墓と称する古墳があるといわれる。
由緒には「山上」とあり「式内社調査報告」には「社前」とある。
一体どちらが正しいのか分からないが、もしかしてこれが古墳?

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・黒嶋神社。


黒嶋神社の標柱が立つ場所から境内に向かう途中、参道の左側一面にコスモスが咲き乱れていた。
思わず「すごい」と声がもれてしまうくらい。
FATBIKEを立てかけてコスモス畑とともに写真を一枚撮った。
神社はどちらかというと緑が多いから、こうして花を眺められることは貴重である。

道路沿いの鳥居をくぐりコスモス畑を過ぎて境内に入る。
普段は入口の鳥居から拝殿まで歩数を数えているのだが、ここでは単に距離が長いという理由でサボってしまった。
境内に入るとその広さに驚いた。

拝殿と本殿は平成十年に改築された旨が「祈念碑」に記されていた。
境内を歩くと、拝殿本殿を取り囲むように小祠や石祠、五輪塔など大小様々な神々がまつられている。
しかし一歩、玉垣の外を出ると鬱蒼とした森である。
境外から見ると田んぼのなかにぽっかり浮かんだ緑の島といってもいいくらい、取り囲む森の広さはなかなかなものである。

「式内社調査報告」によればこの付近からは弥生時代の住居跡や銅鐸も発見されているし、母神山古墳群からも近い場所にある。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・粟井神社。

「日本古来の服忌の心得により、火葬場の帰りに神社境内・御神域へ立ち寄る事はご遠慮ください」

粟井神社の境内に向かう参道の入り口にこのような注意書きが石柱に張られていた。
わざわざこう書かれているのは火葬場の帰りに神社に立ち寄るひとがいるということなのだろう。
式内社といわれる神社を回って四年以上になるが、境内入口にこんな注意書きを見たのは初めてだった。

粟井神社は讃岐国における名神大社三社のうちの一社。
神社は高台にあって観音寺駅から南下して神社に近づくころには遠目からも流造の本殿が見えてくる。
神社に向かう坂道を上がっていくと例の注意書きがあり、さらに進むと拝殿の正面に当たる場所に玉垣と玉垣との間に鳥居が立っていた。
だがその先に大鳥居も見えていたのでそこまでFATBIKEを押して歩いていくことにした。

改めて鳥居をくぐり戻る形で拝殿まで125歩、まずは参拝。
境内にある「記念碑」によれば創建の時期は不明だが、いまより五丁程度南にあった社殿は大同元年に焼失、寛弘元年に現在地に遷座、祭神は天太玉命、とある。

境内を歩いていると突然、雨が降ってきた。
当日の観音寺市は雨のち晴れの予報。
駅を出た時点で傘を持つひとの姿が見られたが、どうにかここまで持ってくれたわけだ。
幸い屋根のある休憩所があったのでそこのベンチで雨宿り。
天気がよければ高台にあるこの場所からは観音寺市内が一望できたことだろう。
レインウェアを持ってこなかったのでこれからどうしようと悩んでいたら雨足は次第に弱まり、神社を出発するころにはすっかりやんでいた。
ちなみに高松にいた妻によれば高松市内は午前中いっぱい雨が降っていたようだから、三十分ほどでやんだ観音寺にいた自分はラッキーだった。

それにしても冒頭の注意書きには少々ひっかかるところがある。
というのも式内社と呼ばれる神社のなかには境内に古墳がみられるケースがある。
もちろん讃岐国も例外ではない。
古墳とはいわずと知れた墓のことである。
「日本古来の服忌の心得」とはもっともらしいようだけど、神社と古墳の関係を考えると本当に「日本古来」なのかどうか。

僕は考古学者でも神道学者でもないけど、少なくともこれまで神社を回った経験から神社と古墳(墓)は決して忌み嫌う関係ではなく、共存・並存していても何ら不都合がないように思う。

於神社の項でも話したように苅田郡には「大野原古墳群」はじめ古墳が多く存在する。
それらと粟井神社の創立とは、まったく無関係でないと思うのは僕だけだろうか。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・於神社。

讃岐国苅田郡の神社がある観音寺市には古墳が多いそうだ。
ネットで検索すると、真っ先に出てきたのが「大野原古墳群」
国指定史跡である同墳をPRするサイトが観音寺市のホームページにあるくらい。

「大野原町大野原の直径約700メートルの中に集中する」ので「短時間ですべての古墳を歩いて巡ることができること」が特徴。
日本でトップクラスの玄室床面積を持つ「椀貸塚古墳」、香川県下最大の円墳「平塚」、香川県下最大の大型方墳「角墳」が古墳群のトップスリー。
だが事前の準備不足で古墳群について知らなかったこと、仮に知っていたとしても式内社が近くになければコースに組み入れるのが難しい。
どちらにしても今回は難しいから次回の楽しみにとっておく。
これで香川に行く楽しみがまたひとつ増えた。

それを補うというわけではないけど、於神社と黒嶋神社の間にある観音寺市総合運動公園内の母神山古墳群は訪ねることができた。
古墳群を見て古代の息吹を感じたい...
そんなロマンチックなきっかけなら格好いい。
しかし実際にはトイレが我慢できなくて公園に入ったら偶然、古墳群があったというもの。
それでも神社とともに古墳と酒蔵には寄りたい自分にとってラッキーであった。

公園の中心にそびえる母神山の麓にひさご塚古墳と鑵子塚古墳の二基がきれいな形で保存されていた(古墳自体はもっと多いらしいが)。

鑵子塚古墳前の説明によれば、同墳は母神山古墳群の盟主的存在の大円墳。
周壕が掘られ横穴式石室を持つ。
その横穴は入れないよう格子で塞がれてはいるけど、自転車用のライトを照らしてのぞくと壁面の石組みが明るく浮かび上がった。
ここに眠っていた古墳群の被葬者と近隣の式内社とは関係があったのだろうか。

先に書いたように母神山は於神社の北側に位置し、FATBIKEで十分ほどの近い距離にある。
その於神社は小さな神社で、鳥居をくぐり拝殿まで45歩。
まずは参拝。
本殿の後方から境内を眺めると盛り土の上に鎮座しているのがよく分かる。
まさかここも古墳? と思った。
「式内社調査報告」にも「周囲の田地より、少し小高くなつてゐる」と述べられているものの、それが古墳とは記されていない。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・加麻良神社。

「式内社調査報告」の加麻良神社の記事を読むと「追記」欄に観音寺市植田町の加茂神社が異説として掲載されている。
論社ではなく「異説」というのはどういうことだろう。
現地を訪ねれば何かが分かるのだろうか? 

加茂神社の境内に入るととにかく風が強かった。
降っていた雨が止んでくれたことはありがたいけど、その分風が出てきた。
平野部に鎮座し神社の周りは住宅地である。
境内が広いこともあって入口が分かりにくいがどうにか鳥居を見つけ出した。
鳥居をくぐり拝殿まで35歩、まずは参拝。

拝殿までの途中には「延喜神明式讃岐二十四社内」と刻まれた石柱が立っていた。
ただ具体的な社名は記されていなく、加麻良神社のことを指すのだろうが、説明はない。
また由緒も見当たらず、讃岐の式内社と目される神社の多くに吊された二十四社の社名が書かれた扁額もなかった。

ということはやはり当社が式内社であるという根拠は薄いということだろうか。
「式内社調査報告」には当社を加麻良神社とする近世の資料として「生駒記」「全讃史」をあげている。
そこでは地元で「カマラ」が「加茂良」(カモラ)と呼ばれていることを理由としているが、記事を書かれた岸上康久先生も「論拠として弱い」と述べられている。

余談だが、ベンチに座ってメモをとっていると防災無線が聞こえてきた。
何かを気をつけるよう注意喚起している。
もしかして不審者情報か。
太いタイヤの怪しげな自転車に乗った男が観音寺市内をうろついている、そんな情報だったらどうしようと思ったが、無線を最後まで聞くと「詐欺」という言葉が入っていた。
振り込め詐欺など特殊詐欺事件への注意喚起だったようだ。
よかった、不審者と間違えられなくて。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・加麻良神社。

高松でのプチ移住期間中、古社巡礼のついでになるべく酒蔵に行けるよう予定を組んでいた。
米よりも麦が強い香川県なので前回プチ移住した松江のように酒蔵自体が多くはない。
それでも香川県酒造組合によれば現在県内で酒を醸している蔵は六ヶ所。
そして観音寺の蔵といえば川鶴酒造。
蔵のすぐ脇を流れる財田川に舞い降りた鶴がその名の由来である。
加麻良神社から近いこともあり神社を訪ねる前に寄ることにした。

蔵の向かい側には毎月一日から五日限定で開く「せらびい工房」があったけど、僕が観音寺を訪れたのはあいにく八日だった。
あきらめかけたところ、事務所でもお酒を販売している旨を記した紙に地図とともにその事務所の場所が記されていた。
道路を渡って事務所に入る。
この季節の酒、ということで勧められたのは純米ひやおろし。
あとで調べると川鶴酒造の試飲販売が名古屋の松坂屋にも来るそうだ。
期間は十二月四日〜十日。
香川で味わった酒を名古屋でも飲んでみたい。

お酒を買ったところで時間は午前十一時を回っていた。
四時台の電車に乗るため朝食をとったのは三時台。
人生二度目の四国に気持ちが高ぶり、いつもなら起きない時間帯にも目が覚めてしまったのだった。
スマホで近くのうどん屋さんを探し、かけうどんと天ぷらを注文した。
順番は前後するがこの日が今回の高松プチ移住で初めての讃岐うどんだった。
淡い色のいりこ出汁に歯ごたえのあるコシの強いうどん、そしてエビ入りかき揚げ天ぷら。
やっぱり地元は違う、と夢中になってうどんをすすった。
しかしそのうどん(おそらく)がのちに加麻良神社到着後に災いした。

神社は標高200mという小高い山上に鎮座していた。
入口の鳥居をくぐり坂を上がっていく。
斜面には小さな祠が等間隔にまつられていた。
記された社名に見覚えがあると思ったら讃岐国の式内社だった。

山上に到着、拝殿まで255歩、まずは参拝。
神社がまつられている山は御諸山と呼ばれており祭神は大己貴命。
境内には本山である奈良・桜井の三輪山を遙拝する三輪鳥居も立っていた。
拝殿から本殿の裏手に回りちょうど一周したころおなかが痛み出した。
ベンチに座って様子をみようと思ったが、我慢できない。
このままでは惨事になってしまう。
境内にトイレを探したが見当たらないので、下山を覚悟した。
途中、少名毘那神をまつる石宮だけ急いで写真をとり駆け足で山を下った。
辺りにトイレがあるような雰囲気はなくFATBIKEに乗って適当な方向にペダルを漕ぐと天の恵みかコンビニが見つかった。
駆け込んで事なきを得たことは松江でのプチ移住で大変お世話になった出雲の神である大己貴命のおかげだろう。

阿野郡鴨神社を訪れたときもうどんを食べたあとに参拝しておなかが痛くなったことはすでに書いた通りだ。
じつは加麻良神社には根拠は薄いとしながらも加茂神社という論社がある。
鴨も加茂も元は同じ。
でも僕の腹痛の原因が「カモ」氏と関係があるかどうか、は謎である。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・山田神社。

午前四時五十三分発の松江行電車に乗るため高松駅に向かった。
高松から一番早く観音寺に向かう電車である。

十月なので逗留先のマンションを出た四時ころはまだ真っ暗闇だった。
幸い駅から近いので車の通りがあるのとコンビニや牛丼屋など二十四時間営業のお店があるので駅まで向かう道は明るい。
駅に着くと照明は部分的だったので明かりのある場所を探して輪行の準備をした。
四時台に起きることはあっても輪行するのは初めてだ。
滅多にない経験ができるのも「プチ移住」の楽しみである。

分解したFATBIKEを輪行袋に詰め込んで駅構内に向かうと二つのホームに電車が停車していた。
電光掲示板を見ると僕が乗る予定の松山行電車よりも岡山行の電車が先に出発する。
こんな時間にと思ったけど、利用者は松山行よりも多い。
四時台の電車に乗れば岡山到着は五時台なのでそこから新幹線に乗れば大阪や東京へは通常のビジネスタイムに到着する。
高松発の電車が大阪や東京の時間に合わせている、そのことも驚きだった。

一方、僕が乗った松山行電車の観音寺到着は六時二十一分。
北口に出てFATBIKEを組み立てていると雨粒が落ちてきた。
空はどんよりしていて雨とともに風が強く吹いていた。
辺りを行きかうひとの手には雨傘が握られている。
駅前のコンビニでコーヒーブレイクをしてから、目的地の山田神社に向かった。

十分たらずで神社に着いたものの、朝から参拝に来ているひとはいなかった。
後方から入ったので正面に回り直す。
入口手前には団地が軒を連ねるが朝早いのでひとの姿は見られない。
入口から鳥居を二本くぐって境内へ。
拝殿までの道のりには小さな池があり、池に注ぐ水路を渡って拝殿まで65歩、まずは参拝。
拝殿手前の注連柱には「大穴牟遅少名彦(?)神」との文字が見えるから、その二神が祭神ということだろう。
拝殿から本殿裏手に回ると、柱が宝珠で飾られた玉垣に囲まれて本殿が鎮座していた。

朝早くてひとの姿が見られないことに加え、天気がどんよりしているし、広い境内だから余計に寂しく感じられた。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・高屋神社。

「天空の鳥居」
高屋神社本宮境内に立つ鳥居はそのように呼ばれている。
鳥居越しに観音寺市内と瀬戸内海を一望できるから、まさに天空に立って眺める風景と遜色ないということだろう。

神社が鎮座する稲積山に登る前には琴引公園で銭形砂絵を見た。
公園内の高台にある展望台に立つと眼前に砂に築かれた「寛永通宝」の銭形が広がる。
展望台も十分高い位置にあったので銭形の全ぼうをくっきりと眺めることができたが、高屋神社本宮から眺める銭形は小銭のように小さかった。
本宮がいかに高い場所に鎮座するかを再確認するに十分だった。

琴引公園から下宮に向かう途中、前方にそびえる稲積山を見上げると山頂付近に鳥居らしきものが見えた。
あの鳥居が立つ場所まで行くのかと思うと正直心配になった。
毎回、時間に縛られる僕の古社巡礼。
本当に行けるだろうか。
下宮を参拝した時点で手元の時計は午後一時を指していた。
行って戻って来られるか気にかかったが、せっかくここまで来たのだから、今回登らずに次はない。
FATBIKEを里宮の建物の柱にくくりつけ、エコバッグにカメラとペットボトルの麦茶を突っ込んだ。
覚悟を決めて登ることにした。

注連柱前で頭を下げて登拝開始。
急な斜面に、歩いては休みを繰り返す。
思った以上にきつい道のり。
靴のヒモを結び直し、帰りのことを考えて走るように登っていった。

十一丁から始まった登山道は登るにつれてその数を減らしていく。
最初こそキツかったもののエンジンがかかると次第にハイペースで登るようになった。
普段、介護+市場配達+ホテル清掃という激務で鍛えられているおかげだろう。
これまでも式内社と考えられている神社がまつられた山を何度か登拝してきたけど、高屋神社が鎮座する稲積山ほどいいペースで登れたことはなかった。
日頃の鍛錬の成果かもしれない。

登っていると所々、木々の隙間から瀬戸内海を眺めることができたが、とにかく先を急ぎたい僕は一目散に登っていった。
登山道が石段に変わりその先には鳥居が立っていた。
麓から見えた鳥居はもうすぐだ。
ついに鳥居をくぐり境内に入るとそこには若い男女のカップルはじめ何人ものひとの姿があった。
登山道で出会ったのは地元のおじさんグループと外国人カップルだけ。
しかもそこにいるひといたちは皆、涼しそうな顔をしている。
その理由は神社後方の磐座を訪れたときに分かった。
駐車場が整備されていて、山頂近くまで車で来られるようになっていたのだ。

何はともあれ山頂に到着したのでまずは本宮に参拝。
そして後ろを振り返ると鳥居越しに瀬戸内海がくっきりと眺められた。
これまでの疲れが一気に吹き飛ぶ絶景だ。

山頂に来たついでに足を伸ばして磐座が鎮座する場所に向かった。
海を向いてそびえる巨岩。
本宮前のベンチから眺める風景とはひと味違う。
磐座の上に立ち青い海を眺めると何だか神秘的な気分になる。
立っていることさえ怖いくらいだ。
強い風が吹けば体ごと吹き飛ばされてしまうだろう。
同じ場所に古代の人々も立って、そこからの眺めに何かを感じ取っていたのかもしれない。
目の前の風景に感動したのか、それとも恐怖心を感じたのだろうか。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國多度郡・雲氣神社。

雲氣神社の所在について、金刀比羅宮と考えられたり、善通寺伽藍内五社明神に雲氣明神としても含まれたり、また独立した神社として先に見た雲氣神社もあり様々。
さらにもう一社、「式内社調査報告」に掲載されているのが雲氣八幡宮である。

大麻神社が鎮座する大麻山から東の平野部を走っていくとこんもりとした森に突き当たる。
クスノキの巨樹が多く枝葉を伸ばし、社名のようにモコモコと育った雲に見えなくもない。

少し離れて立つ鳥居まで戻り改めて境内に入ろうとしたとき、鳥居の根元に犬がオシッコをかけたこん跡があった。
不謹慎だなと思いながら境内に向かおうとすると、今度は鳴き声とともに森から突然犬が走り出てきた。
母犬とみられる犬に小粒の子犬が数匹。
FATBIKEを隋神門近くにとめ、森のなかをのぞくと母犬を追いかけて子犬が木々を乗り越え疾走している。
元気な姿が微笑ましくもあるが、首輪をしているようにはみえない。
野犬だとしたら狂犬病の心配もあるから近所のひとに話した方がいいのでは...
そう思いながら境内に入った。

入口の鳥居から拝殿まで115歩。
参拝してから本殿の裏手に向かおうとすると、母犬と対面。
「ワン!」と吠えられた。
森から出ようとしたところ僕の姿があったからびっくりしたのだろう。
境内に備えつけられたベンチに座りメモを取っている最中も、子犬の鳴き声が聞こえる。

境内に由緒や祭神を記したものは見られない。
「式内社調査報告」によれば、往古八幡宮より一町余北方面に雲氣神社があったが天正七年、両社とも兵火にかかった。
しばらくして御神体のみ蔵井という場所に移し、寛永十八年に現位置に社殿を造営、両社を合わせまつり雲氣八幡宮と称するようになったという。
しかし所在地が多度郡じゃないので式内社ではないとの見方もあるようだ。

それはともかく、犬のことが気になって仕方ない。
森に住み着いた神の使いだろうか。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國多度郡・雲氣神社。

雲氣神社の小さな境内は黄金色にみのった稲穂の海のなかに浮かぶ小島のようだった。
その背景には円錐形をした小さな山々が連なる。

地図を確認しながら田んぼのなかを伸びる道を走っていくと前方に鳥居が見えてきた。
お昼も過ぎ小さな境内にはだれもいないだろうと思ったが、鳥居の前にFATBIKEをとめようとすると参道に若い女性が立っていた。
僕が来た時点ではお参りは済んでいたようで、参道に立ちひたすらタブレットの画面を熱心に眺めていた。
式内社巡りの同業者だろうか。
普段なら鳥居や社名が記された標柱を入れて写真を撮るのだけど、後回しに。

「こんにちは」
鳥居をくぐりあいさつをして拝殿に向かった。
鳥居から拝殿まで40歩、まずは参拝。
本殿の裏手に回り一周するも狭い境内なのであっという間だ。

境内にある由緒によれば祭神は豊宇気大神、大竜神、大雷神と、何となく水に関係した神社かなと思ったら、由緒が引く「全讃記」にあるように「天霧山よりい出でし雲により良く雨が降ることから雲氣神社と呼ばれた」とその起源は降雨を祈念する神社のようだ。

現在の場所に鎮座したのは宝暦四年(1754年)。
それまでは所在がはっきりしなかったようで、その証拠に金刀比羅宮は雲氣神社ではないかという論まで出ている。
「式内社調査報告」には「金比羅のコンを雲(クム)の訛音との想定に立ち、ピラは抜(ヒラ)くとすれば瀬戸内海を航行する船舶が、象頭山に坐す神を雲抜く航海の守護神として尊崇し、そこにある神社を雲氣神社と呼んだとも考えられなくない」と書かれている。
なかなか面白そうな話だけど、ちと強引な感がある。
また善通寺にも雲氣明神を含む五社明神がまつられているそうだ。
中世に兵火にかかり廃絶したものの、祈雨の神社だけに、雨への思いから諸説作り出されたのではないだろうか。

ちなみに参拝を終えたころ、タブレットの女性は田んぼの間の道を歩いて帰って行った。
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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