名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

FATBIKE

【FATBIKE古社巡礼!】近江國伊香郡・横山神社

170822横山神社1

手水舍の後ろにある小さな池。

魚がいたので池をのぞいてから元に戻ろうと振り返ると地面にとぐろを巻いたヘビがじっとしていた。
思わず体をのけぞってしまったが、よく見ると無毒のシマヘビだ。
落ち着きを取り戻しじっと観察しようとすると、ヘビはスルスルと池の横にある岩場に隠れるようにして入っていった。

僕が神社巡りの参考にしている「式内社調査報告」によると、近江国伊香郡の横山神社と考えられている神社は二社。
一社は境内に古墳があり湖北平野に鎮座するのに対し、今回訪れた横山神社は山のなかに鎮座する。

JR木ノ本駅でFATBIKEを組みたてて出発。
神社が鎮座する杉野まで約一時間、緩やかな上り坂をゆっくりとペダルを漕ぐ。
幸い天気は曇りで気温は二十七度と低めで走りやすかった。

神社の入り口に立つ鳥居から拝殿まで130歩。
まずは参拝。

社殿を覆う背の高い木々や水場が近い手水舎。
静かな境内を眺めていると同じく山中に鎮座する伊勢国一志郡、小川神社の論社である宇気比神社を訪れたときのことを思い出した。

土地は違えど神社は同じような場所に建てられるものなんだと。

写真は滋賀県長浜市。

170822横山神社3

【旅の空から】ハンドル交換とトラブル

最近、FATBIKEのハンドルを換えた。

FATBIKEがうちに来てもうすぐ二年。
大学時代には乗ることよりも改造に走った反省から、FATBIKEは故障時以外にはパーツを変えないという約束事を自分に課していた。

この間、FATBIKEと式内社が出会ったおかげで各地を訪れることになり、いかにして楽に長距離を走れるかを考えるようになった。
ハンドル交換はひとつの答えである。

ネットで調べて取り寄せたのは「ループバー」
一見すると洋服をかけるハンガーのような形をしており、長距離走行時でも持ち手を変えられ楽だという。

しかしハンドルが届いたのはいいが、取り付けようとしたところ問題が発生。

ハンドルの径と取り付け部分であるステムの径が合わず、ステムを新たに購入。
しかも古いステムのネジ穴が滑ってしまい自転車屋さんに持ち込んだ。
これで大丈夫だろうとハンドルを取り付けたところ前輪のブレーキワイヤーが短かかったり、関係ないかもしれないがなぜか連続でパンクをしたり...

とまあ、ハンドルを変えるだけなのにトラブルが続出した。

それでもさすがに長距離ツーリング用のハンドル、確かに楽だ。

【FATBIKE古社巡礼!】伊勢國奄藝郡・事忌神社

161102事忌神社4

高佐の集落の端、刈り入れを終えた田んぼを横目に走っていくと、鳥居の手前に社名が刻まれた石塔が立っていた。

鳥居をくぐって石段を上がり拝殿までは70歩。
まずは参拝。
奄芸郡の事忌神社は二社目である。

そもそも「事忌」とはどんな意味なのだろうか。
「忌」は忌中など死を連想させたりイメージとしてはあまりよくない一方、神事に関わった古代氏族に忌部氏がいる。
氏族名の「忌」は「神の霊威や霊験を前にして忌み慎むことで、斎戒を意味」(「日本古代氏族人名辞典」)する。

由緒が記されたものがなく神社の由来については分からない。

「和名抄、樹神、和名古太萬、按事古太也、美與萬音通」(「神名帳傍注」)

つまり樹神の和名は古太萬(コタマ?)であって、萬(マ)は美(ミ)とも読むからコダマがコタミになり、それが社名のもとになったという解釈が「式内社調査報告」に紹介されていたが、実際のところはどうなんだろう。

本殿の裏には「村社 事忌神社鎮座舊跡」と書かれた碑が立っていた。
明治四十二年、神社合祀のあおりを受け黒田神社に統合されたときに建てられたもののようだ。

写真は三重県津市。

161102事忌神社3

【FATBIKE古社巡礼!】伊勢國鈴鹿郡・真木尾神社

161015亀山神社1

亀山市内の式内社を回り、旧東海道を走りながら当日最後の亀山神社に向かった。
すると街道のあちらこちらに町名が記され色鮮やかに彩られた大提灯が吊るされていた。
旧亀山城跡に隣接する亀山神社の境内にも紅白の提灯が鈴なりに吊るされてあったから、秋祭りの準備なのだろう。

亀山神社自体は式内社ではないけど、「式内社調査報告」によれば真木尾神社と支婆加伎神社が同神社に祀られているという。
まず参拝。

境内を見回しても祭神や由緒などは書かれていない。
幸い社務所にひとがいたので声をかけてみた。

「こちらに真木尾神社はおまつりされていませんか?」

出てきた女性は、首を傾げつつ息子さんと思われる神主さんを呼んでくださった。

「えぇ、おまつりしていますよ。たしか阿野田町にあったと聞いています。それが明治期の神社合祀でこちらにおまつりするようになったようです」

現在の阿野田町は亀山市内を流れる鈴鹿川の南に位置する。

ここでも神社合祀の話が出てきた。
明治期の神社合祀について僕はその実態を詳しくは知らない。
でも、いろんな神社を回りながら相当激しく行われたことは分かってきた。

写真は三重県亀山市。


161015亀山神社2

【FATBIKE古社巡礼!】伊勢國鈴鹿郡・忍山神社

161015忍山神社2

旧東海道を東に走っているとやけに大きな木が前方に見えてきた。

「野村の一里塚」

とても樹勢のよい木だったのでFATBIKEを前にとめ写真を一枚、と思いきや、どういう構図にしても電線が入ってしまう。
結局、写真を撮りはしたが電線のためすぐに削除してしまった。

一里塚を越えると忍山神社へ誘う標識が立っていた。
忍山神社の森も布気神社に負けず劣らず大きく豊かだ。
神社南側の入り口から拝殿までは80歩。
まずは参拝。

拝殿右側には「鈴鹿小山の宮(忍山)倭姫命巡幸地跡」と書かれた碑が立っていた。
確か布気神社にも同じようなことが由緒に語られていた。

岡谷公二氏の著書にもあるように、倭姫が天照大御神の鎮座地を探し巡幸した場所であるなら祭神は天照大御神であるはず。
しかし入口に立てられた看板によれば忍山神社の祭神はなぜか猿田彦、しかも別名・白髭大明神とある。
しかも忍山といってもこちらは山になく、むしろ布気神社の方が高台にあり山のようだ。

様々な考え方があるだろうが、近くに鎮座する二つの式内社に同じような伝承が残るのはとても不思議なことだと思った。

写真は三重県亀山市。

161015忍山神社1


【FATBIKE古社巡礼!】伊勢國鈴鹿郡・布気神社

161015布気神社1

関町のスーパーのベンチで昼食をとったあと、国道一号線を東へ。
東名阪自動車道と関西本線が交差する辺りから枝分かれした旧東海道の細い道をさらに前進すると、「布気皇舘太神社」と書かれた道標が立っていた。

旧道沿いに立つ鳥居をくぐり、常夜灯が左右に並び鬱蒼と木々に囲まれた参道を入っていく。
拝殿までは170歩。
まずは参拝。
鬱蒼とした参道と比べ広前は広々としてとても明るい。

入り口は僕が入った旧道沿いとは別に南側にもあり、そちら側には石段があることから神社自体は高台に鎮座するようだ。
境内のベンチに腰掛けてメモをとっていると街道側と石段側からそれぞれ一組ずつ参拝客が現れた。

街道側の入り口には掲げられた由緒書によると、祭神は天照大御神を筆頭に二十三柱。
神社は垂仁天皇の御代、倭姫命に伴われた天照大御神が忍山に遷宮の折、大比古命が神田、神戸を献じたことに由来しているという。
じつはこのあと僕は忍山神社も訪れているが、「忍山宮」があったのは忍山神社ではなく、布気神社ではないかという説があるそうだ。

写真は三重県亀山市。

161015布気神社3

【FATBIKE古社巡礼!】伊勢國鈴鹿郡・志婆加伎神社

161015明神社1

亀山市と津市の境である東名阪自動車道を越えて道なりに進むと、左手に常夜灯が立っていた。

刈り入れが終わった田んぼを両脇に見ながら明神社の境内へ向かうが、その境内を囲むように獣害避けの電線が張られていた。
別の入り口があるのではと社域を回ってみるものの見事なまでに張り巡らされ、一歩たりとも境内には入らせないという強い意思を感じた。

でも参拝者はどうするのだろう。
まさか数本張られた電線の隙間から入るわけにはいかない。

どうしたものかと電線を見ながら考えていたら、電線をつなぐ柱が所々に立っており、簡単に取り外しができるよう電線の付け根がフック式になっていることに気づいた。
フックを外してようやく境内へ。

鳥居をくぐり木々に覆われた薄暗い参道を歩き、また石段を上がって拝殿まで140歩。
まずは参拝。
由緒を記したものはなかったので志婆加伎神社の伝承が残る論社であることは分からなかった。

再び電線を越えて先ほどの常夜灯にたどり着いたとき、思わず歩みを止めた。
文化十年に建立された常夜灯の火袋部分には「柴垣社」という文字が刻まれていた。

写真は三重県津市。

161015明神社2

【FATBIKE古社巡礼!】伊勢國鈴鹿郡・大井神社、片山神社

161015関神社1

東海道五十三次の関宿は現在も往時の街道のたたずまいを残す宿場町だ。
ここだけに限ったことでないけど、古い町並みを走るのは楽しい。
あえてスピードを落としてのんびり散歩のようにペダルを漕げば、街道筋にまつられたお地蔵さんや小祠を見つけたり、店先で売られているものを見ることもできる。

街道筋を北側に折れると突き当りに関神社の鳥居が見えてきた。
鳥居をくぐり境内へ、拝殿までは57歩。
僕の先に親子が参拝していたので、少し待ってから拝殿に進み手を合わせる。

関神社自体は式内社ではないが、片山神社と大井神社という二つの式内社を合祀していると、「式内社調査報告」には記されていた。
明治期の神社合祀によって関神社に統合されたという。
両社については由緒書で触れられている程度で、境内では社名を見ることはなかった。

関神社は関氏の祖、実忠が紀伊国の熊野坐神社の分霊を勧請したことから、熊野皇大神社や熊野三所大権現と呼ばれていた。
境内に設置されている常夜灯には、熊野大権現であったころの名残を見ることができる。

写真は三重県亀山市。

161015関神社4

【FATBIKE古社巡礼!】伊勢國鈴鹿郡・弥牟居神社

161015彌牟居神社1

安楽川沿いを西へ走り、東名阪自動車道の高架下をくぐると右手の高台の上に常夜灯が見えてきた。
近づくと高台の下に社名が刻まれた標柱が立っていた。

その前では髪を後ろで結んだロン毛男性警備員氏が、赤い棒を振りながら神社横の道に進入してくるトラックを誘導していた。

FATBIKEを担いて石段を上がり、拝殿までは125歩。
まずは参拝。

弥牟居神社は安楽川を望む高台の中腹あたりに鎮座する。
「式内社調査報告」によれば祭神は建速須佐男命を主神に伊邪那岐大神はじめ二十四柱。

境内を歩いてみると、丘陵地の中腹だけあってヒノキ、スギ、カエデなど緑豊かな社叢である。
石段に座りながらメモを取っていると境内を流れる風がとても心地よい。
トラックが行き交う音さえなければ本当に静かなところだ。

また拝殿へ向かう石段の左手には自然石を並べた場所があった。
石で囲われたなかにあるその石は丸形や扁平型で、ほかで見られるような山神碑とは違い表面には何も書かれていない。
明治期の神社合祀の際に近隣の神々とともにまとめられたのかもしれない。
山梨で見られる丸石や自然石の道祖神に似た形をしていた。

写真は三重県亀山市。

161015彌牟居神社4

【FATBIKE古社巡礼!】伊勢國鈴鹿郡・那久志里神社、縣主神社、志婆加支神社

161015能褒野神社1

日本武尊は近江の伊吹山で病にかかり伊勢の能褒野で死去したと日本書紀には書かれている。
尊の墓とされる古墳は先日訪れた長瀬神社境内にもあったけど、明治十二年、政府により正式な陵墓とされたのが亀山市の王塚古墳である。

日本武尊像が立てられているJR井田川駅を出発し北上。
安楽川を渡ると正面にこんもりとした緑地帯が見えてきた。

由緒によれば、古墳に隣接して鎮座する能褒野神社は王塚古墳が日本武尊の陵墓に決定するや、神社を作ろうという機運が高まり創建された。
その後、明治四十年代の神社合祀で式内社である那久志里、縣主、志婆加支の三社が合祀された。
三社とも近隣に鎮座していたことから能褒野神社に吸収されていったのだろう。
境内には那久志里神社と書かれた明治十九年建立の当時の標柱が建てられている。

入り口の鳥居から拝殿までは163歩。
広大な境内をFATBIKEを押して歩いて行くと参拝者から「おはようございます」と声をかけられた。

参道から王塚へ。
墳墓へは石段を二回上がると錠がかけられた柵があり、数メートル先には鳥居が立っていた。
宮内庁設置の案内によると王塚は、全長九十メートル、高さ九メートル、四世紀後半築造の前方後円墳であるという。

写真は三重県亀山市。

161015能褒野神社王塚5
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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