名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

FATBIKE古社巡礼!

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・於神社。

讃岐国苅田郡の神社がある観音寺市には古墳が多いそうだ。
ネットで検索すると、真っ先に出てきたのが「大野原古墳群」
国指定史跡である同墳をPRするサイトが観音寺市のホームページにあるくらい。

「大野原町大野原の直径約700メートルの中に集中する」ので「短時間ですべての古墳を歩いて巡ることができること」が特徴。
日本でトップクラスの玄室床面積を持つ「椀貸塚古墳」、香川県下最大の円墳「平塚」、香川県下最大の大型方墳「角墳」が古墳群のトップスリー。
だが事前の準備不足で古墳群について知らなかったこと、仮に知っていたとしても式内社が近くになければコースに組み入れるのが難しい。
どちらにしても今回は難しいから次回の楽しみにとっておく。
これで香川に行く楽しみがまたひとつ増えた。

それを補うというわけではないけど、於神社と黒嶋神社の間にある観音寺市総合運動公園内の母神山古墳群は訪ねることができた。
古墳群を見て古代の息吹を感じたい...
そんなロマンチックなきっかけなら格好いい。
しかし実際にはトイレが我慢できなくて公園に入ったら偶然、古墳群があったというもの。
それでも神社とともに古墳と酒蔵には寄りたい自分にとってラッキーであった。

公園の中心にそびえる母神山の麓にひさご塚古墳と鑵子塚古墳の二基がきれいな形で保存されていた(古墳自体はもっと多いらしいが)。

鑵子塚古墳前の説明によれば、同墳は母神山古墳群の盟主的存在の大円墳。
周壕が掘られ横穴式石室を持つ。
その横穴は入れないよう格子で塞がれてはいるけど、自転車用のライトを照らしてのぞくと壁面の石組みが明るく浮かび上がった。
ここに眠っていた古墳群の被葬者と近隣の式内社とは関係があったのだろうか。

先に書いたように母神山は於神社の北側に位置し、FATBIKEで十分ほどの近い距離にある。
その於神社は小さな神社で、鳥居をくぐり拝殿まで45歩。
まずは参拝。
本殿の後方から境内を眺めると盛り土の上に鎮座しているのがよく分かる。
まさかここも古墳? と思った。
「式内社調査報告」にも「周囲の田地より、少し小高くなつてゐる」と述べられているものの、それが古墳とは記されていない。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・加麻良神社。

「式内社調査報告」の加麻良神社の記事を読むと「追記」欄に観音寺市植田町の加茂神社が異説として掲載されている。
論社ではなく「異説」というのはどういうことだろう。
現地を訪ねれば何かが分かるのだろうか? 

加茂神社の境内に入るととにかく風が強かった。
降っていた雨が止んでくれたことはありがたいけど、その分風が出てきた。
平野部に鎮座し神社の周りは住宅地である。
境内が広いこともあって入口が分かりにくいがどうにか鳥居を見つけ出した。
鳥居をくぐり拝殿まで35歩、まずは参拝。

拝殿までの途中には「延喜神明式讃岐二十四社内」と刻まれた石柱が立っていた。
ただ具体的な社名は記されていなく、加麻良神社のことを指すのだろうが、説明はない。
また由緒も見当たらず、讃岐の式内社と目される神社の多くに吊された二十四社の社名が書かれた扁額もなかった。

ということはやはり当社が式内社であるという根拠は薄いということだろうか。
「式内社調査報告」には当社を加麻良神社とする近世の資料として「生駒記」「全讃史」をあげている。
そこでは地元で「カマラ」が「加茂良」(カモラ)と呼ばれていることを理由としているが、記事を書かれた岸上康久先生も「論拠として弱い」と述べられている。

余談だが、ベンチに座ってメモをとっていると防災無線が聞こえてきた。
何かを気をつけるよう注意喚起している。
もしかして不審者情報か。
太いタイヤの怪しげな自転車に乗った男が観音寺市内をうろついている、そんな情報だったらどうしようと思ったが、無線を最後まで聞くと「詐欺」という言葉が入っていた。
振り込め詐欺など特殊詐欺事件への注意喚起だったようだ。
よかった、不審者と間違えられなくて。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・加麻良神社。

高松でのプチ移住期間中、古社巡礼のついでになるべく酒蔵に行けるよう予定を組んでいた。
米よりも麦が強い香川県なので前回プチ移住した松江のように酒蔵自体が多くはない。
それでも香川県酒造組合によれば現在県内で酒を醸している蔵は六ヶ所。
そして観音寺の蔵といえば川鶴酒造。
蔵のすぐ脇を流れる財田川に舞い降りた鶴がその名の由来である。
加麻良神社から近いこともあり神社を訪ねる前に寄ることにした。

蔵の向かい側には毎月一日から五日限定で開く「せらびい工房」があったけど、僕が観音寺を訪れたのはあいにく八日だった。
あきらめかけたところ、事務所でもお酒を販売している旨を記した紙に地図とともにその事務所の場所が記されていた。
道路を渡って事務所に入る。
この季節の酒、ということで勧められたのは純米ひやおろし。
あとで調べると川鶴酒造の試飲販売が名古屋の松坂屋にも来るそうだ。
期間は十二月四日〜十日。
香川で味わった酒を名古屋でも飲んでみたい。

お酒を買ったところで時間は午前十一時を回っていた。
四時台の電車に乗るため朝食をとったのは三時台。
人生二度目の四国に気持ちが高ぶり、いつもなら起きない時間帯にも目が覚めてしまったのだった。
スマホで近くのうどん屋さんを探し、かけうどんと天ぷらを注文した。
順番は前後するがこの日が今回の高松プチ移住で初めての讃岐うどんだった。
淡い色のいりこ出汁に歯ごたえのあるコシの強いうどん、そしてエビ入りかき揚げ天ぷら。
やっぱり地元は違う、と夢中になってうどんをすすった。
しかしそのうどん(おそらく)がのちに加麻良神社到着後に災いした。

神社は標高200mという小高い山上に鎮座していた。
入口の鳥居をくぐり坂を上がっていく。
斜面には小さな祠が等間隔にまつられていた。
記された社名に見覚えがあると思ったら讃岐国の式内社だった。

山上に到着、拝殿まで255歩、まずは参拝。
神社がまつられている山は御諸山と呼ばれており祭神は大己貴命。
境内には本山である奈良・桜井の三輪山を遙拝する三輪鳥居も立っていた。
拝殿から本殿の裏手に回りちょうど一周したころおなかが痛み出した。
ベンチに座って様子をみようと思ったが、我慢できない。
このままでは惨事になってしまう。
境内にトイレを探したが見当たらないので、下山を覚悟した。
途中、少名毘那神をまつる石宮だけ急いで写真をとり駆け足で山を下った。
辺りにトイレがあるような雰囲気はなくFATBIKEに乗って適当な方向にペダルを漕ぐと天の恵みかコンビニが見つかった。
駆け込んで事なきを得たことは松江でのプチ移住で大変お世話になった出雲の神である大己貴命のおかげだろう。

阿野郡鴨神社を訪れたときもうどんを食べたあとに参拝しておなかが痛くなったことはすでに書いた通りだ。
じつは加麻良神社には根拠は薄いとしながらも加茂神社という論社がある。
鴨も加茂も元は同じ。
でも僕の腹痛の原因が「カモ」氏と関係があるかどうか、は謎である。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・山田神社。

午前四時五十三分発の松江行電車に乗るため高松駅に向かった。
高松から一番早く観音寺に向かう電車である。

十月なので逗留先のマンションを出た四時ころはまだ真っ暗闇だった。
幸い駅から近いので車の通りがあるのとコンビニや牛丼屋など二十四時間営業のお店があるので駅まで向かう道は明るい。
駅に着くと照明は部分的だったので明かりのある場所を探して輪行の準備をした。
四時台に起きることはあっても輪行するのは初めてだ。
滅多にない経験ができるのも「プチ移住」の楽しみである。

分解したFATBIKEを輪行袋に詰め込んで駅構内に向かうと二つのホームに電車が停車していた。
電光掲示板を見ると僕が乗る予定の松山行電車よりも岡山行の電車が先に出発する。
こんな時間にと思ったけど、利用者は松山行よりも多い。
四時台の電車に乗れば岡山到着は五時台なのでそこから新幹線に乗れば大阪や東京へは通常のビジネスタイムに到着する。
高松発の電車が大阪や東京の時間に合わせている、そのことも驚きだった。

一方、僕が乗った松山行電車の観音寺到着は六時二十一分。
北口に出てFATBIKEを組み立てていると雨粒が落ちてきた。
空はどんよりしていて雨とともに風が強く吹いていた。
辺りを行きかうひとの手には雨傘が握られている。
駅前のコンビニでコーヒーブレイクをしてから、目的地の山田神社に向かった。

十分たらずで神社に着いたものの、朝から参拝に来ているひとはいなかった。
後方から入ったので正面に回り直す。
入口手前には団地が軒を連ねるが朝早いのでひとの姿は見られない。
入口から鳥居を二本くぐって境内へ。
拝殿までの道のりには小さな池があり、池に注ぐ水路を渡って拝殿まで65歩、まずは参拝。
拝殿手前の注連柱には「大穴牟遅少名彦(?)神」との文字が見えるから、その二神が祭神ということだろう。
拝殿から本殿裏手に回ると、柱が宝珠で飾られた玉垣に囲まれて本殿が鎮座していた。

朝早くてひとの姿が見られないことに加え、天気がどんよりしているし、広い境内だから余計に寂しく感じられた。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・高屋神社。

「天空の鳥居」
高屋神社本宮境内に立つ鳥居はそのように呼ばれている。
鳥居越しに観音寺市内と瀬戸内海を一望できるから、まさに天空に立って眺める風景と遜色ないということだろう。

神社が鎮座する稲積山に登る前には琴引公園で銭形砂絵を見た。
公園内の高台にある展望台に立つと眼前に砂に築かれた「寛永通宝」の銭形が広がる。
展望台も十分高い位置にあったので銭形の全ぼうをくっきりと眺めることができたが、高屋神社本宮から眺める銭形は小銭のように小さかった。
本宮がいかに高い場所に鎮座するかを再確認するに十分だった。

琴引公園から下宮に向かう途中、前方にそびえる稲積山を見上げると山頂付近に鳥居らしきものが見えた。
あの鳥居が立つ場所まで行くのかと思うと正直心配になった。
毎回、時間に縛られる僕の古社巡礼。
本当に行けるだろうか。
下宮を参拝した時点で手元の時計は午後一時を指していた。
行って戻って来られるか気にかかったが、せっかくここまで来たのだから、今回登らずに次はない。
FATBIKEを里宮の建物の柱にくくりつけ、エコバッグにカメラとペットボトルの麦茶を突っ込んだ。
覚悟を決めて登ることにした。

注連柱前で頭を下げて登拝開始。
急な斜面に、歩いては休みを繰り返す。
思った以上にきつい道のり。
靴のヒモを結び直し、帰りのことを考えて走るように登っていった。

十一丁から始まった登山道は登るにつれてその数を減らしていく。
最初こそキツかったもののエンジンがかかると次第にハイペースで登るようになった。
普段、介護+市場配達+ホテル清掃という激務で鍛えられているおかげだろう。
これまでも式内社と考えられている神社がまつられた山を何度か登拝してきたけど、高屋神社が鎮座する稲積山ほどいいペースで登れたことはなかった。
日頃の鍛錬の成果かもしれない。

登っていると所々、木々の隙間から瀬戸内海を眺めることができたが、とにかく先を急ぎたい僕は一目散に登っていった。
登山道が石段に変わりその先には鳥居が立っていた。
麓から見えた鳥居はもうすぐだ。
ついに鳥居をくぐり境内に入るとそこには若い男女のカップルはじめ何人ものひとの姿があった。
登山道で出会ったのは地元のおじさんグループと外国人カップルだけ。
しかもそこにいるひといたちは皆、涼しそうな顔をしている。
その理由は神社後方の磐座を訪れたときに分かった。
駐車場が整備されていて、山頂近くまで車で来られるようになっていたのだ。

何はともあれ山頂に到着したのでまずは本宮に参拝。
そして後ろを振り返ると鳥居越しに瀬戸内海がくっきりと眺められた。
これまでの疲れが一気に吹き飛ぶ絶景だ。

山頂に来たついでに足を伸ばして磐座が鎮座する場所に向かった。
海を向いてそびえる巨岩。
本宮前のベンチから眺める風景とはひと味違う。
磐座の上に立ち青い海を眺めると何だか神秘的な気分になる。
立っていることさえ怖いくらいだ。
強い風が吹けば体ごと吹き飛ばされてしまうだろう。
同じ場所に古代の人々も立って、そこからの眺めに何かを感じ取っていたのかもしれない。
目の前の風景に感動したのか、それとも恐怖心を感じたのだろうか。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國多度郡・雲氣神社。

雲氣神社の所在について、金刀比羅宮と考えられたり、善通寺伽藍内五社明神に雲氣明神としても含まれたり、また独立した神社として先に見た雲氣神社もあり様々。
さらにもう一社、「式内社調査報告」に掲載されているのが雲氣八幡宮である。

大麻神社が鎮座する大麻山から東の平野部を走っていくとこんもりとした森に突き当たる。
クスノキの巨樹が多く枝葉を伸ばし、社名のようにモコモコと育った雲に見えなくもない。

少し離れて立つ鳥居まで戻り改めて境内に入ろうとしたとき、鳥居の根元に犬がオシッコをかけたこん跡があった。
不謹慎だなと思いながら境内に向かおうとすると、今度は鳴き声とともに森から突然犬が走り出てきた。
母犬とみられる犬に小粒の子犬が数匹。
FATBIKEを隋神門近くにとめ、森のなかをのぞくと母犬を追いかけて子犬が木々を乗り越え疾走している。
元気な姿が微笑ましくもあるが、首輪をしているようにはみえない。
野犬だとしたら狂犬病の心配もあるから近所のひとに話した方がいいのでは...
そう思いながら境内に入った。

入口の鳥居から拝殿まで115歩。
参拝してから本殿の裏手に向かおうとすると、母犬と対面。
「ワン!」と吠えられた。
森から出ようとしたところ僕の姿があったからびっくりしたのだろう。
境内に備えつけられたベンチに座りメモを取っている最中も、子犬の鳴き声が聞こえる。

境内に由緒や祭神を記したものは見られない。
「式内社調査報告」によれば、往古八幡宮より一町余北方面に雲氣神社があったが天正七年、両社とも兵火にかかった。
しばらくして御神体のみ蔵井という場所に移し、寛永十八年に現位置に社殿を造営、両社を合わせまつり雲氣八幡宮と称するようになったという。
しかし所在地が多度郡じゃないので式内社ではないとの見方もあるようだ。

それはともかく、犬のことが気になって仕方ない。
森に住み着いた神の使いだろうか。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國多度郡・大麻神社。

古社巡礼の途上で出会ったひとにFATBIKEに乗って神社を訪ねているというと一様に不思議な顔をされる。
なぜだろう、自分では好きなことをやっているだけなのだけど。
でもよくよく考えると香川県というか四国での巡礼といえば「四国八十八所巡り」、つまりお寺巡りが有名だからだろう。

じゃあ、香川県で一番有名な神社はどこだろうと考えると、「こんぴらさん」として親しまれている金刀比羅宮が一番に思いつく。
しかし、県なり地域なりで有名な神社ってだいたい式内社に入っているのだけど、金刀比羅宮は式内社ではないから、残念ながら讃岐国の古社巡礼コースには入っていない。
なぜ式内社に入っていないのか。
金刀比羅宮の歴史については勉強不足で知らないし、式内社に入っていない理由も知らない。
これだけ大きく由緒ある神社なので逆に入っていないということに大きな理由があるに違いないと思う。

そのことに関連して「式内社調査報告」第一巻の「序並に解題」にはこんなエピソードが書かれていた。
「式内社調査報告」出版に先立って、國學院大學と皇學館大学の関係者が中心となり調査会が立ち上げられた。
そして各県にそれぞれ旧国の担当を決める段になった。
しかし香川県神社庁長である金刀比羅宮宮司から同会への出欠の返事がないどころか、会議が夜間に及ぶものには社務所を貸さないと難色を示したらしい。
その理由についての返答はなかったそうだが、どうやら金刀比羅宮が式内社ではないことからだんまりを決め込んだようだ。
式内社調査会会長の瀧川政次郎氏は他県神社庁から物心両面の援助を受けたことに対する謝意とともに、香川県だけがこの処遇だったことにご立腹の様子で、式内社の問題は神社界の問題だけに「反省を促したい」と強い調子で書かれていた。

さて前置きが長くなったけど、なぜ金刀比羅宮の話をしたかというと、多度郡大麻神社は金刀比羅宮のある琴平山の北側に連なる大麻山の麓に鎮座するからである。
山全体が古墳群で銅鐸や境内近くからは銅剣まで出土する筋金入りの遺跡でもある。
事前に情報を得ていたので興奮を抑えながら神社に向かった。

金刀比羅宮周辺のにぎやかな界隈を離れ北側に向かい土讃線を渡るとすぐに鳥居が見えてきた。
FATBIKEを下車してまっすぐに伸びる参道を歩いて行く。
二の鳥居付近にFATBIKEをとめ置き石段を上がると広前に出た。
拝殿まで450歩と長い距離だった。まずは参拝。

拝殿には「延喜式内大麻神社」と書かれた扁額があり、木板に由緒が書かれてはいたが、古いのと全体に目を通しても銅鐸や銅剣についての記述はなかったので途中で読むのをやめてしまった。
当然かもしれないが境内に遺跡の雰囲気は感じられなかったので後日、ネットで調べてみると標高400mの場所には野田院古墳が、また中腹には椀貸塚古墳があるそうだ。
飯野山同様、讃岐の登山や遺跡探訪は次回の楽しみにとっておこう。

境内には僕以外だれもおらずひっそりとしていた。
なお社叢は県指定記念物として指定されている。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國那珂郡・神野神社。

讃岐国の古社巡礼では至るところでため池を目にしたけど、満濃池ほど大きな池は初めてである。
それもそのはず、その大きさ(水面積)は138.5ヘクタールでため池としては日本一。
畔に立って眺めると遙か先まで池が広がっているから、近江の琵琶湖や遠江の浜名湖のように湖といわれても分からないくらいだ。

その歴史は古く、池の前に立つ説明によると創築は大宝年中(701〜704)に遡り、国守である道守朝臣が築いたとされる。

「晴天五日を経れば水湿の潤い無く、霖雨二日に及べば洪水の難有り」といわれるように水利が乏しい国であったから、讃岐の農業における満濃池の存在感は計り知れないものがある。
そういう歴史的な経緯もあってか平成二十八年には「世界かんがい遺産」に登録された。

その満濃池の守護神とされる神野神社は池の畔に鎮座する。
石段を上がっていき鳥居をくぐると境内に出た。
池の守護神だけあって拝殿本殿ともに池の方を向いている。
鳥居から拝殿まで30歩、まずは参拝。

広々とした空間の境内には本殿のほかにも小祠や五輪塔のような石像物もまつられていた。
境内はちょっとした高台にあるので、拝殿を背にして入口の方を向くと鳥居越しに池が見えるようになっている。
神野神社の神さまが讃岐の命の水である満濃池を見守っているということがよく分かった。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國那珂郡・櫛梨神社。

櫛梨神社を訪れたその日は自走の一日だった。
高松市内の逗留先を出発後、予定していた七社すべてを回り、走って高松市内に戻った。
出発は午前七時で、帰宅したのは午後五時ころだった。
正確な距離は測っていないけどあえていうなれば、はるか遠くに見えていた飯野山がいつしか目の前に現れた。
秀麗な山容を楽しみながらペダルを漕いでいたら真横にあったはずのその姿が次第に遠ざかり、気がついたら視界から消えていた。
そんな距離感。

FATBIKEで長距離を走るのは体力的に厳しいものがあり、無理に走ったせいか、走行中はサドルに当たる尻が痛み、帰宅後は頭痛に翌日には筋肉痛に見舞われた。
でも一日休憩を挟むと復活し、翌々日には再びサドルにまたがってペダルを漕いでいた。

体調もさることながら、天候に恵まれたことが何よりも運がよかったと思う。
この原稿を書いている十一月半ばは吹く風に冷たさを感じ、そろそろ厚めの防寒着が恋しくなる。
しかしひと月前の当日は快晴。
朝のうち冷え込んだくらいで日中は自転車に乗っているとしっかり汗をかき、日焼けするほどで半袖を着ていても暑く感じられた。
天気に助けられた高松での「プチ移住」と古社巡礼だった。

櫛梨神社に到着するころには太陽も西にが傾いていたが、如意山の麓に鎮座する境内に入ると多くの木々が強い西日をカットしてくれ、時折涼しげな風も吹き抜けた。
入口の鳥居をくぐり、石段を上がって拝殿まで125歩、まずは参拝。
とてもひっそりとしているから竹藪からピキピキと竹が割れるような音がすると境内に響き渡った。

「櫛梨神社之碑」によると、櫛皇子による悪魚征伐潭が神社の創始と結びつけられているようだ。
悪魚を退治した櫛皇子(神櫛皇子命)は当国にとどまって城山に城を築き、国造に任ぜられた。
仲哀天皇八年に亡くなり、櫛梨山に葬った後、廟を建てて奉斎、それを皇宮大明神と呼んだという。
この由緒からすると当社は廟の発展系の神社、ということになる。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國鵜足郡・宇閇神社。

宇閇神社のもう一方の論社はことでん琴平線岡田駅の南側に鎮座する。
とはいっても駅からスムーズに神社に向かうことができず変な方向に行き、迷ってしまった。
目の前には讃岐名物のため池。
日光が水面を照らしキラキラしている。

近くの家の前におじいさんがいたのであいさつをして神社の場所を尋ねた。
神社自体はグーグルマップで見るように池の対岸にある高台の上に鎮座していたが、神社に上がっていく道がないように思った。

「池のふちに小さな道があるから、そこをまっすぐ行って左に曲がると神社に出る坂道がありますよ」

物腰のとても柔らかなおじいさんで、丁寧に教えて下さった。

池のふちの道は狭く、池に落ちないようゆっくりペダルを漕いだ。
教えてもらった通り、坂道(激坂!)を上がると神社に出たものの、本殿の裏側に出た。
またしても正面じゃなかった。
拝殿の前に出てみるとかなりの石段が神社の入口の方まで続いていた。
いったん下まで降りてから再び境内に上がってくるとなると大変である。
なので鳥居から拝殿までの歩数計測をここではやめることにした。

平成二十年に竣功した拝殿と本殿は十年をへたいまも新しい印象を与えるが、それよりもすばらしいのが眼下に広がる景色である。
境内の北側の端からは飯野山を中心に丸亀市内が一望できる。
一見して高い建物がないだけに飯野山の美しさが何ものにも邪魔されずひときわ目立っていた。
小さなベンチが置かれていたので「綾歌十景」に数えられるその風景にしばし見入ってしまった。

ベランダからでさえビルやマンションばかりで緑がほんのちょこっとしかない名古屋の我が家からの眺めと大違い。
だから風景自体がせかせかしているようだけど、ここではベンチに座って見ているだけで気持ちがのんびりしてくる。
もし讃岐で暮らすようになれば性格も少しは変わるだろうか。

祭神は武内宿禰命。
ちなみに社名は「ウベ」と読む。
先に訪れた栗熊の宇閇神社は「ウノイ」と読むから、祭神だけでなく社名の読み方までも異なっている。
不思議だ。
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FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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